「与えられる側」から「与える側」になる。グローバルに働き、文化の違いに寄り添う。

2020.01.09

中国の上海で生まれ育ち、現在は日本で働いているSherryさん。母国の実家や寮での暮らしを離れ海外に渡り、一人で暮らしながら働くのは大きな挑戦でした。グローバルキャリアを築こうと決断した背景にあった思いとは。お話を伺いました。

 

Sherry Tan アデコグループジャパン グローバルアカウントマネージャー
中国・上海市出身。大学卒業後からインターンとしてアデコグループに勤め、2017年に日本へ移住。グローバルアカウントマネージャーとして国内外の企業とアデコグループジャパンのチームとの間に立ち、最適なソリューション提案の調整を行う。

両親の言うことが絶対

中国の上海で生まれました。一人っ子政策世代だったので兄弟はおらず、両親は私を大切に愛情を持って育ててくれました。教育熱心な親で、小さい頃から習っていたピアノは毎日何時間も練習をしました。

小学校に通いだすと、たくさんの宿題が出されました。親の目が厳しく、宿題をしないなんてありえなかったので、毎日一生懸命勉強しました。その甲斐あってか成績はどんどん上がって、小、中学校ともに校内のテストで上位の順位を取るまでになりました。

中学卒業後は地域で偏差値がトップクラスの高校に入りました。いろいろな場所から集まってきた優秀な同級生や先輩と触れ合ううちに、自分とは違う価値観を持っていることが分かりとても刺激になりました。

高校では親元を離れて初めて寮に入りました。家族以外の人とこれまで以上に濃い時間を過ごすうちに、自分と友人たちとの“違い”を感じるようになりました。特に感じたのは一人ひとりが自主性や独立性を持っていて、物事に対する自分の意見を持っているということ。私はどちらかというと自分の意見は持たず、言われたことをこなすタイプだったので、その考え方の違いに衝撃を受けました。

大学進学を考えるころには、医学の道に進みたいなと思うようになり、医学部に行きたいという気持ちを両親に打ち明けました。

すると、激しく反対されたんです。経済的な原因もありましたが、医者の仕事は、精神的にも体力的にも辛い思いをするからやめておけと。また、国外留学など海外で経験積むことが一種のステータス、という風潮の中で、将来的に海外でキャリアを積めるようにと、英語が学べる学部に行った方が良いとも言われました。海外に移住してそれなりに成功している親戚がいたので、そのイメージがあったのだと思います。最初は自分の主張を押し通そうとしました。しかし頑として聞き入れてもらえず、結局は親から言われた学部に入りました。

自分自身で下した大きな決断

大学に入ってすぐは、ネガティブな気持ちでした。自分が本当に行きたいと思っていた学部ではなかったからです。それでも、入ったからにはしっかり勉強しなければ、となんとか気持ちを前向きに切り替えていきました。

大学でも、親元を離れて寮で生活しました。友人と密度の濃い時間を過ごすうちに、自分の知らない世界を知ることは楽しいと思うようになりました。

大学3年生になると、就活の一環としてグローバルに人材サービスを展開しているアデコグループの中国のオフィスでインターンを始めました。最初に任されたのは、データベース管理など比較的簡単な仕事でした。

仕事の面倒を見てくれたのは、シンガポール出身の上司で、彼女の仕事へのスタンスや考え方にはすごく刺激を受けました。特にすごいなと思ったのは、チームへの影響力でした。コミュニケーションのとり方や仕事の振り方の端々まで気を配っていて、一緒に働く人の気持ちをポジティブに変えることができるように常に心がけていたのです。

一緒に働くうちに、自分も人に対してポジティブな影響を与える存在になりたいと思いました。そのために、まずはいろいろな経験をして知識を蓄え、その上に自分の意思を築く必要があると感じました。周りに合わせるだけでは、相手の気持ちやパフォーマンスをポジティブなものには変えられないと思ったのです。

地元の人たちだけでなく海外の人たちを含め、いろいろな考え方を持った人が働いているアデコグループなら、その経験が積めるのではとも思い、入社したいと思うようになりました。

ところがインターン終了後、親から「卒業後は大学院に行って、修士資格を取った方がいい」と言われたんです。ただ、自分の中では、学校で勉強するよりも実際に社会に出て、いろいろな価値観を持つ人と働く方が学べることが多いと思いました。

初めて強い意思を持って親の提案を突っぱねました。学問よりも、実務に身を置き、人とぶつかりながら生の経験を味わう方が学べることが多い。このままいろいろなものを外から観察して受け身で生きるのではなく、自分の意思を持ち、他者に刺激を与えられるようになりたいと思ったのです。そんな私の必死の訴えを聞き、そこまで言うならと両親も、私が希望する進路を認めてくれました。

もっと世界を広げるため新天地へ

入社してしばらくは、中国で順調にキャリアを積んでいきました。数年経った頃、外国からの就労者の派遣サービスの立ち上げが決まり、チームマネージャーへ抜擢されたんです。しかし、チーム発足後はなかなか順調にはいきませんでした。国策とも関わる繊細な調整も多く、思うように進められない状況がありました。

サービスは順風満帆とはいかず、クレームへの対応に時間を費やすことが多くなり、チームメンバーは疲弊し、モチベーションのコントロールが難しい状況でした。このまま現状の組織体制を維持し続けることは、会社にとってもチームメンバーにとっても最良な選択ではないと思い、組織を見直すべきだと考えました。自分自身が今の役割を離れることがまずは現状の打開策の一歩だと考え、思い切って別の部署への異動を希望しました。マネージャーとしての力量不足をひしひしと感じ、違う部署で経験を積みたいとも思っていました。

そんな時、社内で海外の法人向けに人材サービスやコンサルティングを担当するグローバルチームが、同じ中国の上海に立ち上がりました。転職せずに成長できるチャンスがあるならと、自ら手を挙げてチームを移りました。新しいチームで、新しい人やお客様と働けば、また刺激をもらえるのではと思ったのです。

部署を移ってしばらくは順調に働いていました。新チーム立ち上げのタイミングで大変でしたが、新しい経験を積めている実感がありました。上司が国外から着任したので、これまでとは違う新しいビジネスの考え方に触れられたのも楽しかったですね。

立ち上げから数年後、部署は軌道に乗り安定してきました。それと同時に、なんとなく物足りなさを感じるようにもなりました。改善業務ばかりが増えて、新しい知識を吸収する機会が減ってしまったからです。上司も母国に帰ってしまい、このまま会社に残るのか、転職するかで本気で迷いました。

そんな時、グローバル企業が日本国内、もしくは海外でサービス展開をするときに、適切なサービスやリソースを調達する部署のメンバーをアデコグループジャパンで募集しているという話を聞きました。常々、新しい知識とスキルを積み重ねたい、もっと多様な考え方や仕事の方法を身に付けたいと考えていたので、日本行きにとても魅力を感じました。これまで中国でしか働いた経験がなく、不安もありましたが、やってみたいという気持ちを抑えられず、手を挙げました。

文化の差を認め、適応する

31歳の時、アデコグループ内の、社員の希望に沿って異動を行うインターナル・モビリティ制度に応募し、運よく希望していた日本行きが決まりました。高校・大学時代の日本のアニメやドラマ好きの友人の影響もあり、日本へは興味を持っていましたが、これまでずっと実家や寮で暮らしていたところからいきなり知らない地での一人暮らしに不安も大きかったですね。

日本に着いてすぐは、文化の違いに戸惑いました。一人暮らしのマンションに着いてすぐに、鍵が入っているポストの開け方がわからず、家に入れなかったんです。管理会社に電話したのですが、応答がありませんでした。連絡がつながる時間帯が、中国よりも短かったんですよね。どうすればいいかわからず、途方に暮れてしまいました。結局、いろいろ試すうちになんとか開けられたのですが、非常に焦りましたね。

仕事においても、文化の違いを感じました。特に大きな違いは意思決定の仕方です。上海では、責任者やチームマネージャーがあらゆる意思決定をスピーディーに行い、それに合わせて部下がついていくのが主流のスタイルです。一方日本では、1つ1つのアクション取るためにプロジェクトチーム全員の目線を合わせることを優先します。アクションを起こすのに時間がかかりますが、みんなが同じ方向を向いているので、それだけ大きなパワーで物事を進められるメリットがありました。

どの国の仕事の仕方が良いか考えるのではなく、その土地の人たちの考え方に合った進め方をまずは習得せねばと、一緒に働きながら少しずつ新しい考えを身に付けていきました。

刺激を与えられる側から与える側へ

現在はアデコグループジャパンで、グローバルアカウントマネージメント部の一員として働いています。国内外にいるグローバルクライアントの責任者とアデコチームメンバーの間を取り持つのが私の役割です。

それぞれの文化や考え方、ビジネススタイルを尊重しつつ、クライアントのニーズをしっかりと捉え、円滑なサービス提供、課題解決、さらなるビジネス拡大に向けた最適なサービス提案をサポートしています。

クライアントの多くが日本以外の国の方のため、海外で受けているサービスをそのまま日本でも使えるよう求められるケースは度々ありますが、法律的に困難な場合があります。その際に、私がクライアントと日本の営業部門との橋渡し役となり、日本の法律・ルールに沿った進め方をサポートします。最適なサービスの提供ができて、クライアント、アデコジャパンの営業部門、双方から喜んでもらえた時にはすごくやりがいを感じます。

これからも自分のスキルを上げるため、新しい環境を求めて、アジア以外のアメリカやヨーロッパなど、いろいろな国や地域でも経験を積んでみたいです。世界60の国と地域でグローバルに展開をしているアデコグループには、そのチャンスがたくさんあると思います。いろいろな国の文化や風土、法律とルール、多様な考え方を知っているからこそ、お客様に有益な考え方や発想をお伝えできると考えていますし、私自身、新しい環境に直接触れることで、さらに成長したいと思っています。

私の今の目標は「誰かに刺激を与えられる人」になること。常に新しい環境を求めるのは、自分の知識を増やし、ビジネスパーソンとして成長したいという思いと、お客様と周りのチームに別の視点からの考え方を伝えることで、想像以上のアイデアや結果を生むきっかけを提供できるのではないか、という思いが強くあるからです。

また、それだけではなく、昔一緒に働いた上司のように、周りの人たちの気持ちをポジティブに変えられる人になりたいですね。そのためにも働く周りの人たちに気を配り、気持ちの良いコミュニケーションが取れるように常に心掛けたいと思います。今よりもっと人の役に立てる存在になっていきたいです。

 

Written by Another life

another life.×アデコグループジャパン 「これからの働き方を考える」特集

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