人財 組織 知的生産性向上に欠かせないポジティブ・メンタルヘルスとワーク・エンゲイジメント

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2019.08.07

健康増進と生産性向上を両立させる「ポジティブ・メンタルヘルス」に取り組む企業が日本でも徐々に増えている。
注目度が高まった社会的、学術的背景とは何か。メンタルヘルスとワーク・エンゲイジメントとの関係性をどう捉えればよいか。働き方改革の進展により「オン」と「オフ」の区分が曖昧になるなか、充実した働き方のためのオフの過ごし方をどう戦略的に捉えるべきか。
慶應義塾大学総合政策学部教授で、日本におけるポジティブ・メンタルヘルスの普及に早くから取り組んできた島津明人氏に聞いた。

構造の変革のなかで求められるポジティブ・メンタルヘルス

ポジティブ・メンタルヘルスとは、働く人々の心身の健康度を高め、生産性の向上につなげることを目指す心理学的概念である。

従来型のメンタルヘルスが、不調をいかに防ぐか、不調者の発生にどう対応するかに主眼を置いていたのに対し、ポジティブ・メンタルヘルスは、個人の成長や自己肯定感などを重視している点が大きな特徴だ。

「学術的には、2000年頃から心理学界において『ポジティブ心理学』と呼ばれる研究領域が提唱されたことと密接な関係があります。

心理学は本来、人間の『幸せ』や『Well-being(よりよく生きること)』に貢献する学問ですが、現実にはストレスやうつなどネガティブな心理的要素を主な研究対象としてきました。

そこで本来の研究対象であるはずの『人間らしい生き方』についての研究を充実させていくべきだとの機運が高まり、『ポジティブ心理学』や『ポジティブ・メンタルヘルス』という考え方の登場につながりました」

ポジティブ・メンタルヘルスが注目されるようになった学術的背景を、島津氏はこのように説明する。

一方で、産業構造の変化により、企業にとってポジティブ・メンタルヘルスの重要性が高まっているという側面もある。

「産業全体に占める第三次産業の比重が世界的に高まっていることに加え、ビジネスのデジタライゼーションが進み、さらにイノベーション創出が企業の必須課題となるなかで、人間の知的生産性や創造性が今まで以上に求められています。

従来型の製造業であれば、工場の生産ラインの稼働率を高めることで生産性が向上しましたが、知的労働の場合、働けば働くほど生産性が高まるというわけではありません。労働の質的向上が不可欠で、そのための重要な要素として、生き生きとやりがいを持って働けているかがあらためて問われているのです」

ここで押さえておきたいのが、ワーク・エンゲイジメントの概念だ。近年、人財マネジメントの分野でも多く用いられるようになった言葉だが、本来はポジティブ・メンタルヘルスにおいて提唱された心理学用語である。

仕事に対し、ポジティブで充実した感情を持続的に抱いている心理状態を指す(図1参照)。

ストレスを導くような負の要因を取り除くだけでなく、ワークエンゲイジメントを高めるような正の要因を増やすことで、「心身の健康」と「生産性向上」の両立を目指すのが、ポジティブ・メンタルヘルスの基本的な考え方である。

図1 ワーク・エンゲイジメントを構成する3つの要素 活力 就業中の高い水準のエネルギーや心理的な回復力 熱意 仕事への強い関与、仕事の有意味感、熱中、誇り 没頭 仕事への集中と没頭 特定の対象、出来事、個人、行動などに向けられた一時的な状態ではなく、仕事に向けられた持続的かつ全般的な感情と認知である 出典:島津明人(2014)「ワーク・エンゲイジメント:ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を」労働調査会,p.29
図1 ワーク・エンゲイジメントを構成する3つの要素 活力 就業中の高い水準のエネルギーや心理的な回復力 熱意 仕事への強い関与、仕事の有意味感、熱中、誇り 没頭 仕事への集中と没頭 特定の対象、出来事、個人、行動などに向けられた一時的な状態ではなく、仕事に向けられた持続的かつ全般的な感情と認知である 出典:島津明人(2014)「ワーク・エンゲイジメント:ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を」労働調査会,p.29

ワーク・エンゲイジメント向上には個人と職場の強みが影響する

ワーク・エンゲイジメント向上には個人と職場の強みが影響する

その心理的メカニズムをわかりやすく整理したモデルとして、島津氏は「仕事の要求度―資源モデル」(図2参照)を挙げる。

図の上段は、仕事がもたらすさまざまなストレス要因(仕事の要求度)が、ストレス反応を誘引し、心身の健康にマイナスの影響を与えていく流れを示している(健康障害プロセス)。

従来のメンタルヘルス対策では、このプロセスにおけるストレス要因をいかに取り除き、メンタルヘルス不調を抑えるかを主眼としてきた。

これに対し図の下段は、個人と組織が持つ強み(個人の資源・仕事の資源)が、ワーク・エンゲイジメントを向上させ、心身の健康と個人・組織のパフォーマンスにプラスの影響を与えていく流れを示している(動機づけプロセス)。

図2 健康とパフォーマンスを左右する「仕事の要求度-資源モデル」 出典:島津明人(2014)「ワーク・エンゲイジメント:ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を」労働調査会,p.59
図2 健康とパフォーマンスを左右する「仕事の要求度-資源モデル」 出典:島津明人(2014)「ワーク・エンゲイジメント:ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を」労働調査会,p.59

「個人の資源とは、自己効力感(ある行動をうまく実行できるという自信)や組織での自尊心、楽観性、レジリエンス(粘り強さ)などを指します。また仕事の資源とは、経営層との信頼関係や上司の支援、ほめてもらえる職場、成長の機会などが該当します。

これらの要素が豊富であればあるほど、ワーク・エンゲイジメントは高まり、結果として個人の生産性や組織のパフォーマンスがよくなります。しかも個人と組織の資源が多いと、心理的なストレス反応を弱めてくれるメリットもあります。

ストレス要因の除去だけに注力するのではなく、個人の資源・仕事の資源を充実させる取り組みが、健康増進と生産性向上を両立させるカギなのです」

メンタルヘルスのアセスメントは「職場の犯人捜し」ではない

では、企業としてはポジティブ・メンタルヘルスの施策に具体的にどのように取り組めばよいのだろうか。

その1つの方法として島津氏は、職場のストレス要因と、個人の資源・仕事の資源のアセスメントを実施することを薦めている。

労働安全衛生法により、2015年12月にストレスチェック制度が施行されたが、それ以前の2012年4月には、厚生労働省研究班が仕事の資源についての調査項目を含めた「新職業性ストレス簡易調査票」を公表している。

こうしたアセスメント手法を活用して、まずメンタルヘルスにおける組織の強みを把握する。そのうえで、社員参加型の討議の場やワークショップを開設。メンタルヘルス改善とワーク・エンゲイジメント向上のために何をすべきかを社員同士でディスカッションし、行動計画のかたちに落とし込んでいく。

「この際に注意していただきたいのは、アセスメントの実施は"犯人捜し"が目的ではないということです。『うちの部署で仕事の資源が乏しいのは誰の責任だ?』といった原因追及に向かってしまうと、職場の雰囲気が悪くなります。アセスメントはあくまでメンタルヘルスにおける組織の強みを見つけて、それを伸ばしていくことが目的。組織の強みを見える化して社員で共有すること自体、モチベーション向上につながり、結果的にメンタルヘルス施策も長続きしやすくなります」

これからポジティブ・メンタルヘルス施策に取り組もうとする企業に対し、島津氏は「新しいことをゼロから始める必要はない」とアドバイスする。

「社員がやり甲斐を持って生き生きと働くこと自体が、健康に寄与し、生産性向上にもつながります。このことは経営層・マネジメント層の方々にぜひ認識していただきたいです。

でも、何か無理をする必要はありません。おそらくどの企業も、健康で働きやすい職 場づくりのために、何らかの施策や工夫を今までにもしてきたことでしょう。私がここまでお話ししてきたポジティブ・メンタルヘルスの考え方をヒントに、もう一度それらの施策を見直したり、少し拡充したりするだけでもよいと思います。

新しいことをゼロから始めようとすると、それ自体がストレス要因になりかねません。小さな取り組みから始めて、成功体験を積んでいくことが、息の長いメンタルヘルス施策の実現につながるのです」

オフタイムの過ごし方がパフォーマンスに効用をもたらす

最後に、ポジティブ・メンタルヘルスのためのオンタイムとオフタイムの関係性について島津氏に聞いた。メンタルヘルスは職場外の要因にも左右されるが、特に重視すべきなのが「いかに休むか」だという。

「オンタイムとオフタイムの過ごし方はクルマの両輪のようなもの。心理的に充実した働き方をするには、長期休暇から、平日の昼休みの過ごし方などまで、休み方を戦略的に考える必要があります」

休み方とメンタルヘルスに関する学術研究は、欧州で定着しているバカンスのような長期休暇を対象に進んだという。しかし実証研究によると、2週間のバカンスを取得すると、その期間中にはストレスレベルが下がるものの、休みが終わった直後からストレスレベルが上昇し、約3週間後にはほぼもとに戻ってしまうことが明らかになっている(図3参照)。

図3 休暇前後のストレス反応の変化 出典:Westman Eden(1997) Journal of Applied Psychology,82,516-527.
図3 休暇前後のストレス反応の変化 出典:Westman Eden(1997) Journal of Applied Psychology,82,516-527.

長期の休暇を繰り返し取得するのは限界があるため、現在はより短期間の休暇・休息が主な研究対象となっているという。つまり毎週末の休みや、毎日の仕事を終えた後の時間帯の過ごし方、平日の昼休みや、仕事中のブレイクタイムの過ごし方だ。働くわれわれとしても、長期的な休暇よりも、こうした日常的な休息をいかに充実させるかが大切になってくる。

参考になる研究成果の一例として、島津氏は「週末の過ごし方が、週明けのストレスとパフォーマンスにどのような影響を及ぼすか」という海外の調査研究を紹介してくれた。

例えば週末に家族とのトラブルのような仕事外のストレス要因が起こると、週明けのパフォーマンスが下がってしまうのは当然だろう。興味深いのは、週末に社会的活動に従事すると、週明けのストレス反応が低下し、パフォーマンスが上昇することだ。

「仕事以外の活動をすることで、仕事のストレス要因から一時的に離れられますし、職場ほど高度な感情のコントロールをしなくても済みます。これらが平日のストレスからの回復を促し、週明けのパフォーマンス向上につながっていると考えられます」

もちろん、自分が普段従事している仕事の内容によっても、望ましい余暇の過ごし方は違ってくる。

「肉体労働であれば体を休めるのが先決ですし、頭脳労働であれば思考作業をできる限り避けるのがよいでしょう。あるいは営業・接客・医療・介護など感情のコントロールが求められる感情労働の場合、ひとりで静かに過ごしたり、感情のコントロールが少なくて済む場を確保することが好ましいと考えられます。

いずれにせよ、ポジティブ・メンタルヘルスにおいて、『いかに休むか』は『いかに働くか』と同じぐらい重要です。日本人もより健康で高いパフォーマンスを上げるための要素として『休み方』の意義をもっと積極的に考えていただきたいと思います」

Profile

島津 明人氏
慶應義塾大学総合政策学部 教授

早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科卒業。博士(文学)、臨床心理士、公認心理師。早稲田大学助手、広島大学専任講師、同助教授、オランダユトレヒト大学客員研究員、東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野准教授等を経て、2019年より現職。専攻は精神保健学、産業保健心理学。主な著書に『ワーク・エンゲイジメント:ポジティブ・メンタルヘルスで活力ある毎日を』(労働調査会)、『職場のポジティブメンタルヘルス2 科学的根拠に基づくマネジメントの実践』(誠信書房)など。