Vol.30 インタビュー:書道家 武田双雲さん

仕事と私 挑戦を通じて

小さな感謝、小さな感動、小さな改善を毎日毎日積み重ねていくこと。それが僕にとっての「挑戦」です。

心構え次第ですべては決まる

3年間勤めた会社を辞めて書道で生きていこうと決めたのは、25歳の頃です。書道家になってからの最初の挑戦は、路上で書を書くことでした。きっかけはサックスプレーヤーの坪山健一さんの路上演奏を聴いたことです。演奏が終わると、何人かが泣いていて、僕も感動で涙がとまらなくなった。気がついたら、その場で坪山さんに路上でパフォーマンスする方法を質問し続けていました。

でも、最初は本当に怖かった。自分はどう見られているんだろう。僕が書いた書にどんな反応が返ってくるんだろう。遠くから見ているあの人は何を考えているんだろう──。そんなことばかり考えていました。人の心の中は見えませんよね。その見えないものに、僕は怯えていたんです。

そんな恐怖心がなくなったのは、こちらの気持ちが変われば相手の反応も変わるということに気づいてからでした。目の前にいる人のために心を込めて書こう。そう強く念じて書いた書は、相手の心に必ず届くんです。なかには、感動して涙を流してくれる人もいました。こちらが変われば、相手も変わる。ということは、こちらの心構え次第ですべては決まるということです。あの体験で、自分の人生は自分次第だということを心から実感できたように思います。

武田双雲さん

profile
1975年熊本市生まれ。母である書家・武田双葉に3歳から書を習う。東京理科大学理工学部卒業後、NTTに入社。約3年間の会社員生活を経て、2001年1月より書道家としての活動を始める。これまで、NHK 大河ドラマ「天地人」をはじめ、数々の作品の題字を手がけてきた。
主宰する書道教室「ふたばの森」の生徒数は250人にのぼる。『人生を変える「書」』(NHK 出版新書)ほか、著書多数。

自分から先に感謝の気持ちを伝える

最近のチャレンジは、6月9日を「世界感謝の日」として広める活動です。「感謝」というのは最高の言葉だと僕は思っています。たとえば、「愛」には「憎しみ」や「無関心」という対義語があります。同じように、「豊かさ」には「貧しさ」、「平和」には「戦争」という反対の言葉があります。でも、「感謝」には、そういう対義語がありません。だから、「感謝」は包括的で、真実に一番近い言葉だと僕は思うんです。

感謝の気持ちをみんなが自然に伝えられるようになれば、仕事はもっと楽しくなるし、家庭はもっと幸せになります。世界は確実にもっと平和になります。そんな機会をつくろうと僕が提唱しているのが、「世界感謝の日」というわけです。

重要なのは、何かをしてもらったから感謝をするのではなく、「ありがとう」という言葉を先に伝えることだと僕は思っています。「会社が何もしてくれない」と文句を言うのではなく、自分に活躍の場を与えてくれている会社にまず感謝する。同僚や上司や友人や家族に、自分から先に感謝の気持ちを伝える。そうすればすべてがうまくいくと僕は信じています。

毎日の小さな挑戦が本当の意味での挑戦

僕にとっての挑戦とは、そんな小さな感謝、小さな感動、小さな改善を毎日毎日積み重ねていくことです。「挑戦」という言葉だけを聞くと、「勝つか負けるか、成功か失敗か、得るか失うか」といった大勝負をして、何か大きなものをつかむ、といったイメージが浮かんできますよね。多くの人は、そういった大きなリスクをともなう行動を挑戦と思っているかもしれません。

僕が考える挑戦は、もっと小さくて、もっと誰もができるものです。たとえば、朝起きたら、いつもよりも明るく家族に「おはよう」と言ってみる。朝食前の「いただきます」を少し長めに言ってみる。顔を洗うとき、水を少しだけ大事にしてみる。道徳的であれと言っているわけではないんです。スーツを着るときに少しだけ力を抜いてリラックスしてみるとか、通勤の時間をもっと楽しくなるように工夫してみるとか、そんなことでもいいんです。1日の中にそういう小さなチャレンジが何百回もあれば、5年後、10年後の人生はものすごく変わるはずです。

書道では、筆に墨をつけて、紙の上に一本の線を書くという行為の中に、本当にいろいろな要素が含まれています。毛先が紙に触れ、最初の墨がにじむ。自分の手の動きが筆に伝わり、その筆が白い紙に線を描いていく──。そういう微細な要素の一つひとつを意識することが、書道が上達する一番のコツです。細かなところを無視して、はじめから上手な字を書こうとか、流暢に書こうと考えるのは、日々の生活をおろそかにして、大きな夢だけを追いかけるのと同じです。

毎日の小さなチャレンジが何よりすばらしいのは、仕事がとても楽しくなることです。僕は、仕事の中で無理をしているとか、がんばっているという意識はまったくありません。戦略も戦術もマーケティングも一切ありません。小さなチャレンジを繰り返して、毎日を楽しく過ごしてきたら、知らないうちにここまで来ていた。そんな感じです。

僕は、仕事は究極の「遊び」だと思っています。自分の気持ちや工夫次第で、いろいろなものを変えていけるゲームのようなものだと。だから、もし仕事で悩んでいるのなら、「仕事は遊び」と考えてみることをおすすめします。そうすればきっと、働くことが今よりもずっと楽しくなると思いますよ。

本誌のために揮毫してくださった双雲さん。2013年も「輝」く1年になるよう、思いを込めて。