Vol.37 インタビュー:落語家 春風亭昇太さん

仕事と私 挑戦を通じて

「常に新しい」というのは実は自然なことなんです。芸も自分も常に変化しているのだから

心の支えとなった師匠の言葉

僕、子どもの頃から何をやってもダメだったんです。勉強もダメ。中学でブラスバンドに入ったけれど楽器は下手。高校でソフトボールをやりましたが、それも全然才能がなかった。でも、大学でたまたま落語に出合って、最初からそこそこウケたんです。「もしかしたら、落語の才能だけはあるのかもしれない」と思いました。

それで、就職はせずに落語の世界に入りました。東京で落語家になろうとすれば、江戸落語をやることになるわけですが、僕は生まれが静岡ですから、東京の人間になれるはずはありません。人マネの江戸弁ではなく、自分の言葉で落語をしよう。そのためには、自分でつくったネタをやるのが一番やりやすいはず──。そう考えて、前座の頃から新作落語に取り組みました。

春風亭昇太さん

しかし、伝統芸能の世界では、新作というのは評価が低いものなんです。古典こそが本道で、新作は邪道というわけです。でも、僕は落語を職業に選び、一生落語でご飯を食べていく覚悟でこの世界に入ったわけですから、他の人と同じことをしていてはダメだと思いました。

落語家もネタも商品です。自分自身がお客さんに選んでいただける商品にならなければいけないし、楽しんでいただける商品をご提供しなければならない。そう考えたら、他とは違った自分だけの芸で勝負するしかないんです。それが、僕にとっては新作だったということです。

落語というのは、家元も宗家もない、本来自由な芸能なんです。だから自由に楽しい落語をやるという自分の方向は間違っていないといつも思っていました。落語家には御法度と言われていたメガネもかけ続けましたし、着ぐるみを着て高座に上がったこともあります。ずいぶん叩かれたものですが、今は、自由で伸び伸びした芸風がむしろ落語会のスタンダードになっていますよね。最近の若手はみんな好きにやっていて、それをお客さんも楽しんでいます。だから、時々思うんですよ。僕だけずっと怒られてきて、ほんと、損したなあって(笑)。

正直、心が折れそうになることもありましたが、それでも何とかやってこられたのは、師匠である春風亭柳昇の存在があったからです。やはり新作落語で勝負していた柳昇は、生前から「何でもやってみなさい」と僕に言っていました。「何でもいいからやりまくって、ダメだったことは次からやらなければいい。やらないのが一番よくない」と。この言葉に、僕は今でも支えられています。もう一つ、同業者であるほかの落語家からの応援も心強かったですね。周囲の人たちは僕を決して非難したりせず、「昇ちゃん、やれやれ」と言ってくれました。本当のプロは、同じプロを応援してくれるものなんですよ。

一番の目標は大御所にならないこと

一職業人としていつも心がけているのは、ネタをちょっとずつリニューアルしたり、時々新ネタを出したりして、常に新しい商品をお客さんに提供していくことです。それがプロの落語家である自分の仕事じゃないかって。

新しいことに挑戦し続けるのは大変なことですが、やりがいのあることだし、ある意味で自然なことでもあります。芸には自分の年齢に応じた完成度というものがあって、それは年とともにどんどん変わっていくわけですから、常に新しいというのは、考えてみれば、それほど難しいことではないんですよ。

難しいのはむしろ、年をとってくると、だんだん「人に褒められたい」とか「認められたい」という気持ちが湧いてくることです。「やっぱり、師匠はすごいなあ」とたまに言われたくなっている。そんな自分に気づいて、はっとすることがあるんです。これはよくない。だって僕は、人から褒められようが、けなされようが、自分が信じる芸を自分自身で楽しみながらやるというスタンスでこれまで仕事をしてきたわけですから。だから最近は、「評価されたい」というようなよこしまな気持ちを打ち消しながら、いつも薄っぺらい、ぺらぺらな感じの落語家でいることを心がけています。いくつになっても大御所にならないこと。それが僕の一番の目標ですね(笑)。

春風亭昇太さん

profile
1959年静岡県生まれ。東海大学で落語研究部に所属。82年、大学を中退して春風亭柳昇に入門する。前座名は「春風亭昇八」。86年、二つ目に昇進し「昇太」に改名。92年に7人の兄弟子を抜いて真打に昇進した。2000年、文化庁芸術賞大賞を受賞。06年からは日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーに抜擢される。「SWA(創作話芸アソシエーション)」「六人の会」などのメンバーであり、演劇や音楽などのジャンルでも活躍している。