働き方 人財 仕事の未来 組織 テクノロジー AIは人間の可能性を拡張するテクノロジーである―AI時代に求められるスキル開発実践のヒントと「Jagged Frontier」とは

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2026.04.03
AIは人間の可能性を拡張するテクノロジーである―AI時代に求められるスキル開発実践のヒントと「Jagged Frontier」とは

生成AIは、従来のテクノロジーでは難しかった非定型業務や知的労働までを担うことが可能になり、その影響で米国企業では、ホワイトカラーなどの働き手が生成AIに職を奪われる事態が現実に起こりはじめているという。
しかし仕事をタスクベースで分解して見れば、引き続き人間が担うべき領域も多い。重要なのは仕事を奪い合う対象としてAIを捉えるのではなく、人間とAIの最適な協業を目指すことだ。そのために必要なスキル開発とは何か。企業はリスキリングをどう実践すべきか。名古屋商科大学ビジネススクール教授の根来龍之氏に聞いた。

AI時代のスキル開発の重要概念、「Jagged Frontier」とは

AI時代のスキル開発やリスキリングのあり方を考えるうえで、ぜひ念頭に置いておくべき概念として、根来氏が真っ先に挙げるのが「Jagged Frontier(ジャギッド・フロンティア)」(図1参照)である。米国の研究者らが提唱している最新の概念だという。

図1Jagged Frontier ~ AI の能力の境界線はギザギザ形

Jagged Frontier ~ AI の能力の境界線はギザギザ形

出典:(Dell‘Acqua et al., 2023)、Mollick (2023)

Jaggedとは英語で、ギザギザで不規則な状態の意。Jagged Frontierとは、AIの得意・不得意領域が複雑に混在していることを示した概念。

AIの技術進化は目覚ましく、「人間の仕事が次々と奪われる」と思われがちだが、実態はもう少し複雑だ。われわれの仕事をタスクごとに分解すれば、AIが優れたパフォーマンスを発揮する領域がある一方で、人間の方が依然として優位な領域もある。

法律事務所の業務を例とすれば、法令調査や判例調査のような基本的なデータ調査・分析のタスクはAIが得意とするが、依頼者から核心となる重要事実を聞き出したり、それをもとに説得力のある主張を組み立て法廷で効果的に提示したりといったタスクは、人間が優位な領域といえる。

このJagged Frontierの考え方を踏まえれば、「AIが得意なタスクを担っている人財を安易にリストラなどすべきでないことがわかる」と根来氏は指摘する。というのも、現実に法律事務所で働く人々の多くは、自ら判例調査をしながら弁論の構築なども進めているはずだ。そこにAIを活用すれば、判例調査などの精度は高まり、その成果によって法廷弁論の質も向上する。つまり、AIは人間から仕事を奪うのではなく、むしろ仕事の質を高めながら幅を広げてくれるテクノロジーだと捉えられる。

「AIがもたらすこのような性質は、enhancement(拡張・増加)と呼ばれます。しかし米国では、判例調査を日頃多く担っている人財を"AIに代替(replacement)される存在"として捉え、レイオフするような事態が起こっています。Jagged Frontierは、こうした事態に警鐘を鳴らす概念ともいえます。終身雇用の文化が依然として定着している日本では、この潮流は一層そぐわない。米国を追わず、enhancementの発想で自社人財の能力の可能性を引き出していってほしいと考えています」(根来氏)

入社から日の浅い若手従業員こそ、専門能力の習得が重要に

この視点を前提に、これからのスキル開発やリスキリングを考えた場合、習得すべきスキルは2つある。

1つは当然ながら、プロンプト作成やデータ解析のようなAI活用スキル。もう1つは、それぞれの職務のコアとなる専門能力だ。法律事務所の例で言えば、依頼者との対話スキルや、説得力ある弁論を構築するロジカルシンキング能力などがこれに当たる。もちろんコアとなる専門能力は、業種・職種によっても個々の職務によっても異なる。それぞれの職務をタスクに分解し、どのタスクにAIを活用し、どのタスクは人が専門能力として磨くべきかを明確化していくことが、AI時代のリスキリングには不可欠である。

ここで留意したいのは、入社して間もない初期段階の従業員にこそ、専門能力の育成が求められることだ。これまでの日本企業では、入社後の5〜10年は職務を通じて基礎的なスキルを学び、経験を積んでから専門能力を習得していくというケースが多かった。例えば自社製品の特徴を理解し、顧客ニーズを深く捉えて適切な営業資料や提案書を作成する、といった基礎的な営業スキルは、ある程度の現場経験を積まないと習得できなかった。

しかし、AIが本格的に営業現場に導入されれば、顧客分析や報告書作成などは大幅に効率化される。若手社員でも、従来に比べ短い期間でパフォーマンスを出せるようになるだろう。そのため、今後は「5〜10年は下積み期間」といった考えを改め、図2のように、むしろ若手時代から高度な専門能力を習得し、中堅従業員たちと一緒に新製品開発や新たな販促施策の構想などに取り組めるような育成環境が求められる。従来のスキル開発のメニューや時間軸を、抜本的に見直していく必要があるということだ。

図2AI時代のスキル開発

図2 AI時代のスキル開発

AIの活用により、基礎的なスキルの習得は大幅に効率化されることが期待できる。スキル開発のメニューや時間軸を根本から再検討し、早期に高度な専門能力を習得できる体制を整えることが求められる

AI時代に求められる経営幹部候補の育成の新たな視点

同様に、経営幹部候補の育成にも見直しが求められる。すでに経営幹部に必要な資質は変化しつつある。経営環境の不確実性が高まり、既存業務の知識や経験を豊富に積んだとしても、それを価値創造や意思決定に生かせる期間は限られてしまう。これからの経営幹部にとって重要なのは、社会変化の先行きを見据え、自社が目指すべき提供価値を構想し、経営判断や意思決定をしていく力だ。これらはジェネラルマネジメント能力と呼ばれる。

こうした能力は、業務経験やOJTだけでは身につきにくく、また短期的な研修で獲得するのも難しいため、専門スキルとして早くから学ぶ必要がある。しかし日本企業ではこれまで、「あまり早期に幹部候補を選抜しない」という考え方が根強く、課長クラスには一律の教育を行い、さらに部長クラスでも候補者を広く取り、同質的な研修を行う傾向が強かった。今後はこうした一律型から脱し、早期からの選抜教育に転換することが必要だ。遅くとも35歳前後の段階で幹部候補を選び、相応のコストを投じ、体系的に育成していくことが求められると根来氏は話す。

日本企業では、営業、技術、マーケティング、人事など特定部門でキャリアを積むケースが多く、30代半ばの段階で、自社内でこうした能力を身につけるのは難しい。その意味で、今後のスキル開発やリスキリングは、ビジネススクールなどの外部教育機関の活用が重要になってくるというのが根来氏の見立てだ。

「実際、私が所属するビジネススクールにも、大手企業から幹部教育、特に選抜型の幹部育成についてケースメソッドを用いて実施してほしいという依頼が非常に多く寄せられています。すでに多くの企業が30代半ばの段階で幹部候補を選び、計画的に育成していく方針へ移行しつつある。この流れはAI時代が本格化するほど、さらに加速していくでしょう」(根来氏)

必要な学びとしては、例えば、戦略立案や組織設計のように高度な判断力を求められる領域は、座学だけでは不十分であり、OJTでも習得しにくい。こうした戦略論や組織論のような領域では、ケースメソッドがよく用いられる。実際の企業事例を教材として、「この判断は妥当だったのか」「自分が意思決定者ならどう動くか」といった視点で議論を深めていく教育手法だ。

「重要なのは、評論家の視点ではなく、当事者として考える姿勢です。せっかく具体的な事例を用いても、第三者目線で批評するだけでは学びにならない。そのとき、自分がその部門の責任者だったと仮定して事例に真剣に向き合い、どのような判断が可能かを考えてもらう。今後、次世代幹部を早くから育成するためには、経営者や人事部門もこうした育成メソッドについて知っておくべきです」(根来氏)

研修の達成度ではなく、ビジネス成果と結びつけたリスキリング評価を

一方で、幹部候補ではない一般従業員については、前述の通り、それぞれの部門におけるコアスキルを、リスキリングによって着実に高めていくことが重要になる。では一般従業員のリスキリングを進める際、企業側はどんな点に留意すべきだろうか。

根来氏が指摘するのは、リスキリングを「ラーニング目標」によって評価することの限界だ。日本のスキル教育やリスキリングでは、「1人当たり学習に何時間費やしたか」「生成AIについて何ができるようになったか」といった学習の到達度を評価軸に掲げがちだ。

しかし本来、リスキリングの評価はビジネスの成果と結びついていることが望ましい。法律事務所の例でいえば、スキル開発によって同じ人数でどれだけ扱える案件数が増えたのかなど、会社の成果指標で測られるべきだろう。

ただし、従業員のスキルとビジネスの成果の因果関係を明確に示すことは簡単ではない。そこでヒントになりそうなのが、バランス・スコアカード(Balanced Scorecard:BSC)だ。BSCとは、企業業績を「財務」に加えて「顧客」「業務プロセス」「学習と成長」といった要素で多面的に捉え、中長期的な成長に向けてこれらをバランスよくマネジメントしていくという経営管理手法。これまでも活用されてきたが、最近は人的資本経営やESG、テクノロジーを実装するための経営の基盤となるフレームワークとして、取り入れている企業が増えている。

「BSCでは『学習と成長』の一環として、従業員のスキル開発も業績の成長要因として重視されています。そのためBSCを導入している企業は、従業員のスキルがビジネスの成果にどうつながっているか、紐付けて整理しやすいかもしれません。簡単ではありませんが、実効性のあるリスキリングのために、企業はBSCのような手法も活用しながら、スキルに関する独自の成果指標をぜひつくり上げていってほしいと思います」(根来氏)

AI時代にこそ、「やりがいのある仕事」による動機づけがますます重要に

リスキリングを進めるうえでもう一つ重要になるのが、従業員が習得したスキルを企業側が適切に評価して、報酬や昇進、希望部署への配属など社内での処遇にしっかりと反映させることである。

「学びには内的インセンティブと外的インセンティブの両面がありますが、現在の日本企業では外的インセンティブが乏しく、スキルを身につけても具体的に待遇が変わるのかが従業員からは見えにくい。主体的な学びを促すためにも、まずは外的インセンティブをきちんと整備する必要があります。前述の通り、従業員のスキルとビジネスの成果の因果関係を明確化しておけば、『○○のスキルを習得した従業員は、報酬を何等級引き上げる』といった制度を取り入れやすくなります」

もっとも、外的インセンティブを整えるだけで従業員の学びの意欲が長続きするわけではない。最終的には、学んだスキルが"より魅力的な仕事"へとつながる実感こそが、持続的な意欲を支える本質的な動機になると根来氏は話す。

「結局のところ、『仕事の報酬は仕事』だと私は思っています。つまり『この能力を身につければ、やりがいのある仕事に挑戦できる』『キャリアの新たな選択肢が開ける』といった道筋が見えていることが、強い動機づけになるはずです。しかもAIが得意な定型的タスクを担うようになれば、人間はより創造的な仕事に注力するようになります。AI時代、『やりがいのある仕事』による動機づけはますます重要になるのではないでしょうか。スキル開発やリスキリングの文脈で、企業側がこの動機づけをどう提供できるかが問われていくのだと思います」(根来氏)

Profile

根来龍之氏

根来龍之氏
名古屋商科大学ビジネススクール(東京校) 教授
大学院大学至善館 特命教授
早稲田大学 名誉教授

京都大学卒業。慶應義塾大学大学院経営管理研究科(MBA)修了。鉄鋼メーカー勤務、早稲田大学ビジネススクール教授などを経て現職。経営情報学会会長、国際CIO学会副会長、組織学会理事・評議員、ビジネスモデル学会理事、米California大学Berkeley校客員研究員、Systems Research誌Editorial Board、CRM協議会顧問、経済産業省IT経営協議会委員、会計検査院契約監視委員会委員長、IT Japan Award審査員、(自動車工業会)JNX運営委員、国際IT財団理事などを歴任。経営情報学会論文賞を3回受賞。デジタル戦略等に関する著書多数。企業顧問や研修講師など、実業界との多様な接点を持つ。