2019.07.01
人材サービスを展開するアデコグループジャパンで、営業部長として働くかたわら、自身のスキルを活かして社会貢献活動に参加したり、社内有志のコミュニティを運営したりしている岸さん。入社当初は、自分の仕事に専念していた岸さんが社外の活動にも積極的に参加するようになった背景とは?お話を伺いました。
東京都渋谷区で生まれました。すごく恥ずかしがり屋なうえ赤面症で、自分から人の輪に入ることができない子どもでした。
小学校4年生のある日、ずっと一緒に登校していた、たった一人の友達が他の人と仲良くなり、一緒に登校してくれなくなりました。一人ぼっちになってしまって、すごく悲しかったですね。
中学に進学するころ、世の中はヤンキーブームでした。ヤンチャな友人と仲良くしていたので、遊ぶ仲間はたくさんできたのですが、恥ずかしがり屋と赤面症は相変わらずでしたね。
そのころもう一つの流行が、アイドルでした。そうした曲を聞いているうちに音楽自体に興味を持つようになり、次第にそれまでの仲間と遊ぶより音楽の方が楽しくなっていきました。
中学2年生になる頃には音楽にすごく詳しい友人ができましたが、徐々にヤンチャな友人との交流が減り、一人で過ごす時間が増えました。音楽好きの友人が違う人といると、自分から話しかけることができないんです。引っ込み思案の自分にコンプレックスを感じるようになり、どこにも居場所がない孤独感をまた抱えることになりました。
高校に進学すると、周りの友人のコミュニケーション力に助けられ、自然と遊ぶ仲間が増えました。そのころの友人とは、街中で女の子に声をかけ遊んでいました。世間では、いわゆるナンパと言われるものです(笑)。
その時の仲間の一人に、誰もが振り向くようなイケメンの友人がいたのですが、僕は彼に負けないように必死でいろんな話をしました。その結果、次第に話術が磨かれ赤面症も治っていきました。
また、高校時代には接客業、清掃業、コンサートスタッフ、営業など、あらゆるジャンルのバイトを経験しました。単純にお金が欲しかったのはもちろんですが、新しい人と出会う機会が好きだったんです。大学生活も、その延長でした。
就職活動はほとんどせず、最初に内定をもらえたという理由で、システム会社に開発職として入社しました。
正直、自分のやりたいことや仕事の適正なども考えていなかったので、その当時の仕事は楽しいとはとても言えませんでしたね。そんな姿を見かねた先輩が営業に同行させてくれて、「お前は営業の方が向いている」と言われ、それから営業職に。
その後、大学時代の先輩から副業に誘われ、何か楽しいことをしたいという思いから友人と一緒に携帯販売代行の副業を始めました。
学生時代に磨いた話術や人脈を活かすことで、どんどん商品が売れていくのが面白くてたまりませんでした。副業の収入が増えるにつれ、次第にお金以外のことには興味がなくなっていきました。
携帯販売が上手くいき、会社を退職して友人と起業しました。何のプランも経営知識もないのに、自分には商才があると勘違いしていたんです。当然のごとくビジネスは大失敗、貯金はあっという間に無くなりました。収入がないのに、日に日に請求ばかり増えていく恐怖はたまらなかったですね。
結局、事業は上手くいかず就活を始めました。どの業界に行くか考えたとき、人材の仕事なら顧客の間口が広そうだと考え、大手人材会社の営業職として転職しました。ところが入ってみると上司と意見が合わず、3カ月で退職。たった3カ月でやめてしまったのが悔しくて、リベンジを果たす気持ちで他の人材会社を数社受けることに。そして28歳のとき、アデコグループジャパンに出会いました。
入社して数年間は、これまで培ってきた営業スキルのおかげでそこそこの成果を出せていたため、正直なところ、向上心や仕事に対する熱意をあまり持つことができませんでした。
32歳でリーダー職に就いたころ、付き合いがあったベンチャー企業の知り合いから、「うちの会社に来ないか」と誘われました。はじめは誘われたことで良い気分だったんですが、以前事業を立ち上げたときの失敗が頭をよぎりました。「このまま転職して、また失敗したらどうしよう」と、急に怖くなったんです。
もしベンチャーに行ったら、今の会社よりも資産も人材も揃っていない状態でビジネスをしなければならない。今の環境ですらそこそこの成績しかあげられていない自分が、新しい会社で結果なんて出せるのか。考えれば考えるほど失敗する未来しかイメージができなかったんです。
同時に、これまで真剣に仕事に向き合っていなかったということに気づかされました。このままではいけないと思い、仕事に向き合い、より成果を出すためにはどうすればいいのかをひたすら考えました。
その結果、一人でできることには限界がありますが、チームで協力すれば何倍もの成果を上げられる可能性があると思いました。また、たとえ誰か一人が失敗してしまったとしても、チームであればメンバーがカバーし合えます。そこで、今のチームを良くするために、まずはメンバー一人ひとりときちんと向き合うことにしました。
人と真剣に向き合うと決めてからは、メンバーとランチで積極的にコミュニケーションを取るようにしたり、ムードメーカーの社員に飲み会を開催してもらったりと、とにかくチームのためになりそうだと思うことを一番に考え、行動するようになりました。
チームの一体感が醸成されるに従って、結果に結び付くようになり、社内でもチームとして評価されるようになりました。結果を出して評価されることで、メンバーの士気がますます上がり、チーム自体が元気になっていきました。
以前は自分の業務さえこなしていればいいと思っていましたが、いつの間にか一人じゃ仕事はできないし、それでは楽しくないと思えるようになっていました。
取り組み内容や成果が会社にも評価され、34歳で支社長に昇格しました。
その後も順調にキャリアを積み重ねていましたが、40代半ばに差し掛かった時、社内体制が一新されました。その時、周囲に比べて良い役職につけていないことに落ち込みました。会社に自分の居場所がないように感じて、この会社ではもうやっていけないかもしれないという不安や、組織に対する不満でいっぱいでした。起業でもしようかとすら考えていました。
それから1年ほど考えながら過ごしているうちに、自分の考え方に変化がでてきました。営業として、お客様と関係性を築く力では他の社員に負けないかもしれないけれども、社内のステークホルダーを説得して新しい仕組みを作ったり、会社を変革したりすることは苦手なので、そういった部分において評価されないのは当然だと冷静に思えるようになったのです。
そんな時、これまでの自分はそこまで難しく考えずにいろいろなことに挑戦していたことを思い出しました。先が見えていなくても、やってみると案外なんとかなっていたな、と。ちょうど同じ頃、社内でパラレルワークが解禁され、これだと思い、挑戦することにしました。
障害者支援のNPO団体の活動に3カ月ほど参加し、これまで関わらなかった人たちと関わり、新しい考え方を知って、視野が広がりました。すると、自分が「こうあるべき」と考えていた固定概念が崩れ、思い通りに行かなくたっていいやと思えるようになったんです。いろいろな人との繋がりを通して、面白いものに出会い、刺激的な毎日を送れれば、それで幸せなのではないかと考えられるようになりました。
現在は、アデコグループジャパンのキーアカウント事業本部第三営業部長を務めています。キーアカウント事業本部は、いわゆる大口のお客様に対し、人材派遣や採用代行、人事管理などのサービスを提供しています。
営業の仕事をする上で心がけているのは、とにかく相手との距離を縮めること。お客様と飲みに行ったり、必要であれば遠隔地でも日帰りで商談に行ったりもします。今では、仲良くさせていただいているお客様からは「シーキーさん」とアダ名で呼ばれるほどの間柄となっています。
また、アデコグループジャパンでは組織をフラットにし、できるだけ権限を部下に移譲する新しい組織のあり方を推進しているのですが、僕のチームでも一人ひとりが主体的に行動するような組織づくりに注力しています。
その一環で、私が管轄している部門のチームマネジメントの在り方を大きく変えました。これまで、チームの目標や戦略はマネージャーが考えてからメンバーに共有するトップダウン方式だったのですが、全メンバーで考えるようにしたんです。部署のルールやスローガンも自分たちで考えるようになったことで、主体性が生まれるようになっていきました。
僕は社内で部署横断の非公認有志団体を運営しているのですが、定期的に有志の社員を募り、会社が掲げる「キャリア開発があたり前の世の中をつくる。」というアデコグループジャパンのビジョンについて考える機会をつくっています。柔軟な働き方が当たり前になりつつある世の中で、自分たちのサービスは現状のままで良いのか、といった回答のない課題を社員のみんなが自発的に考えることのできるようになってほしいと思っています。
個人としては、パラレルワークも続けています。社会のためになる活動をしながら、気づきや出会いがあるのが楽しいところですね。
これからもいろいろな人とのつながりや、他者からもらえる刺激を大切にしていきたいです。いずれは、社会貢献活動などで知り合った仲間たちと何か社会のためになる事業で起業できたらいいなといった話をしています。これからも、命尽きるまで人や社会と関わりあいながら、楽しく生きていければと思います。
チームの一体感が醸成されるに従って、結果に結び付くようになり、社内でもチームとして評価されるようになりました。結果を出して評価されることで、メンバーの士気がますます上がり、チーム自体が元気になっていきました。
Written by Another life
another life.×アデコグループジャパン 「これからの働き方を考える」特集
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