リスキリングが注目される理由は、イノベーションと表裏一体のテーマだからだ。イノベーションがもたらすのは新しい価値の創造だけではなく、これまで積み上げてきたスキルや仕事のあり方を根底から壊す「破壊」の側面も持ち合わせている。
自らのスキルを進化させ、こうした破壊の波を乗り越えていくにはどうしたらよいのだろうか。イノベーション研究の観点から、時代に即した独自のリスキリング論を提唱している早稲田大学 商学学術院 教授の清水洋氏に話を聞いた。
創造の裏にある「破壊」をどう乗り越えるか―リスキリングの本質的意義
――イノベーション研究の観点から、リスキリングの本質をどのように捉えていますか。
イノベーションとは「経済的な価値をもたらす新しいモノゴト」であり、これは大きく2つのタイプに分けられます。1つは、既存のビジネスモデルや業務のあり方を前提とし、それをより洗練・改善していくタイプで、「累積的イノベーション」などと呼ばれます。もう1つは、既存のあり方を前提とせず、まったく新しい枠組みを生み出すタイプ。これは「破壊的イノベーション」と呼ばれます。
前者は既存の知識や技能を基盤とした変化なので、働き手のリスキリングの必要性は比較的小さいといえます。これに対し後者の場合、働き手が培ってきた既存のスキルが大きく破壊され、賃金低下や失業などに直面する可能性が高い。人々はその不安感から、イノベーションを推進するのではなく、むしろ抵抗する側に回ってしまう恐れがあります。そこで重要になるのが、破壊的イノベーション後に通用するようなスキルを身につける「リスキリング」なのです。そもそもイノベーションは「創造」と「破壊」の両面を持ちます。新たな価値を創造すると同時に、破壊によって生じる社会全体の負の影響をできるだけ軽減するという観点から、リスキリングは重要な政策的課題であると考えています。
――なぜ最近になってリスキリングが注目されるようになったのでしょうか。
かつての日本企業は、スキルを破壊するようなイノベーションに対してもうまく対応してきました。銀行ATMの普及などはその代表例でしょう。窓口業務を大幅に簡素化・省力化する技術的イノベーションであり、日本で広く普及。その結果、窓口職員のスキルは陳腐化しましたが、だからといって大規模な人員削減は行われず、別部門に配置転換され、徐々に新しいスキルへと移行していきました。
これが可能だったのは、当時の日本企業の成長性が高く、スキル破壊を配置転換で吸収する余地があったからです。経済・産業が成熟段階に入った今、このような柔軟な対応は難しくなっています。さらに近年、投資家からの要請を背景に、企業は「専業化」へ進んでいます。複数事業を抱える「多角化」を見直し、得意分野に経営資源を集中させる動きです。その結果、社内でのスキルの再配置が一層難しくなっています。日本でDX推進などのリスキリングの注目度が高まっているのもそのためです。
――ではこの状況に、日本企業はどう対応すべきでしょうか。
率直に言って、企業がやれることは限られているというのが私の考えです。新卒一括採用や終身雇用が定着している日本の企業は従業員に対し、「企業特殊的なスキル」の習得を求めてきました。その企業でしか通用しないスキルを蓄積すればするほど、ほかの企業に移りにくくなる。日本の雇用流動性が低い一因でもありました。破壊的イノベーションに備えたリスキリングは、個人の責任で取り組むべきと考えます。
ただし、スキルが破壊されてしまう人々を支援することも必要です。これには個々の企業ではなく、政府が政策的にしっかりと対応することが求められます。例えば、安価で質の高い社会人教育のための大学院の整備などは、非常に有効だと思います。
あえてスキルを「陳腐化」させ、イノベーションの担い手に転じる発想を
――働く個人は、リスキリングに対し、どんな心構えが必要でしょうか。
培ってきたスキルを自ら「陳腐化させる」発想を持つことが重要だと考えています。累積的イノベーションも破壊的イノベーションも、既存のスキルを陳腐化させる側面があります。ただ、このスキルの陳腐化は、「より高い生産性をもたらす新技術が登場した」という意味でもあります。その瞬間、従来のスキルの生産性は相対的に下がります。その変化を恐れるのではなく、生産性の低い手法を自ら手放し、いち早く新しいやり方を取り入れていく。つまり、それまでの経験やスキルに固執するのではなく、イノベーションを推進する側に回るということです。
おそらく、そうした転換ができるのは、日頃から自らのスキルを磨き、生産性向上に真剣に取り組んでいる人たちです。常に「もっと良いやり方があるはずだ」と探求を続けている人ほど、新しい潮流の兆しを察知し、受け入れる準備ができているからです。そういう人は、自分が次に何を学ぶべきかもいち早く理解できるはずです。
かつての自動車製造は熟練工たちの高度な技術に支えられていました。そこに産業ロボットを導入して自動化を進めたことで、生産性が劇的に向上するイノベーションが生まれました。今後はAIの活用によって、さらに大きな変化が訪れるでしょう。とはいえ、熟練工たちが担ってきた溶接・塗装・組み立てといったスキルの本質を理解せずに、単にロボットやAIを導入しても現場はうまく機能しません。熟練工自身が新たな技術を学びつつ、自分の知見をそこに投入することで、新たな技術導入を円滑に進めることができます。自分のスキルは陳腐化するかもしれませんが、それによってイノベーション推進の担い手に回ることができます。
――若手層とミドル・シニア層では、リスキリングへの取り組みに違いが出てくるでしょうか。
若い世代であれば、これまでとはまったく異なる分野に挑戦するリスキリングも有効でしょう。しかしミドルやシニア層の場合、新しい分野のスキルをイチから学んでも、若手の習得スピードにはなかなか追いつけません。仮に時間と費用を投じてスキルを得ても、担う役割の違いから実践の機会は限られます。その意味で、ミドル・シニア層のリスキリングには独特の難しさはあります。しかし一方で、この世代には豊富な経験や知見の蓄積があります。
それを新たな領域で生かす重要なポイントは、自身のスキルを抽象化して捉える視点だと思います。例えば、記者や編集者の仕事を「記事をつくる仕事」と捉えるのではなく、「伝えるべきメッセージを説得的に発信する仕事」と抽象度を上げて捉え直す。そうすれば、企業のIR支援や教育事業など、これまでとは異なるキャリアの可能性が見えてくるのではないでしょうか。既存のスキルをどう磨くべきか、その延長線上で新たに何を学ぶべきかも、自然と明確になるはずです。
そもそもリスキリングには構造的なリスクがあります。破壊的イノベーションだけでなく、社会情勢や経済環境の予期せぬ変化によって、せっかく身につけたスキルが通用しなくなる可能性があるからです。個人のリスキリングは、複数銘柄を保有してリスクを分散する「分散投資」とは異なり、特定のスキルに時間と資金を集中する「集中投資」にならざるを得ません。つまり、スキルの価値が失われるリスクを分散できないのです。
だからこそ、キャリア設計は戦略的であることが望ましいのです。どんな専門性も、いずれ新しいテクノロジーやビジネスモデルに代替されるかもしれない。そのリスクを織り込みながら、自分の強みをどの領域で生かしていくかを中長期的な視点で考えていく。それがこれからの時代のリスキリングに求められる姿勢だと思います。
Profile
清水洋氏
早稲田大学 商学学術院 商学部 教授
早稲田大学商学学術院教授。中央大学商学部を卒業後、一橋大学大学院商学研究科修士、ノースウェスタン大学大学院歴史学研究科修士、2007年にロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカルサイエンス(LSE)でPh.Dを取得。一橋大学イノベーション研究センター教授などを経て、2019年より現職。専門は経営学(イノベーション、アントレプレーナーシップ)。
著書に『イノベーションの科学』(中央公論新社)、『イノベーションの考え方』(日本経済新聞出版)など多数。