山田久氏
法政大学大学院
イノベーション・マネジメント研究科 教授
京都大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学、京都大学)。専門は人的資源管理論、労働経済。日本総合研究所調査部長、副理事長などを経て、2023年に法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授に就任。著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版)など多数。日本総合研究所客員研究員。

トランプ関税、日中関係の緊張の高まりなど、世界情勢の不確実性はますます高まっている。
2026年の国際政治・経済の展望と、日本企業が目指すべき方向性、労働政策の論点などについて、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授の山田久氏に聞いた。
近年、世界の分断傾向は一段と強まり、各国の経済活動が、国際政治の対立構図や予期せぬ外交戦略の転換に左右されるような事態が続いている。2025年4月以降の「トランプ関税」などもその代表例といえるだろう。自由貿易や経済的な合理性よりも国際政治の力学を優先するような世界の潮流は、今後、一層加速していく可能性が高いと山田久氏は話す。
そうしたなかで、私たちが改めて認識すべきは、日本経済が米国と中国という二大国に大きく依存しているという現実である。日本製品の最終的な販売先を統計的に見ると、米国と中国を合わせて全体の約4割を占めているという。日本企業は東南アジアや欧州にも拠点を展開し、部品・素材を含めたグローバルなサプライチェーンを構築しているものの、完成品の最終的な消費地で見ると、依然として米中の存在感が大きい。
企業としても、米中の政治・外交・通商政策をますます無視できなくなってくる。国益を最優先する両国の政策動向に日頃から目を向け、突発的な制度変更や予期せぬ政治的摩擦のリスクも織り込んで、事業展開を冷静に検討していく必要がある。
同時に、米中への依存を見直す視点も欠かせない。
「分断が進むなかでも自由貿易体制を重視する欧州諸国や、環太平洋地域のオーストラリア、ニュージーランドなどとの取引関係を再評価し、リスクの分散を図ることは有効です。2026年は、地政学的リスクを踏まえた経営判断の重要性が、企業の間で強く認識される年になっていくのではないでしょうか」(山田氏)
日本国内に目を向けると、2025年10月に高市早苗政権が発足。「強い経済」を明確に打ち出した姿勢に、期待する声は多い。
その経済政策のカギとして、山田氏は「労働市場政策」を挙げる。高市政権は強い経済の実現を目指し、AIやエネルギー安全保障など17項目の戦略分野に重点投資する方針だ。ただ日本で投資を強化しようとしても、その稼働を支える労働力が不足している。リスキリングを通じて成熟産業から成長産業への人財シフトを促すなど、労働力供給の視点からの施策を進めていくことが欠かせない。
この文脈で、2026年の重要なテーマになりそうなのが、「労働時間の見直し・再構築」である。2019年の働き方改革関連法の施行により、残業時間の上限規制が強化されたが、高市総理は就任後、規制の緩和を提唱。具体像は明らかになっていないが、人手不足に悩む企業側の要望に応え、上限を緩める方向で検討が進む可能性がある。
労働時間のあり方は、日本が抱える構造的な課題を見据えて、しっかりと検討する必要があると山田氏は強調する。というのも、少子化・人口減少に伴い、働き手の人口構成が明確に変化しているからだ。20~50代の男性の働き手は、人口減少により多数派ではなくなりつつある。経済・産業活動を維持していくには、女性の活躍はもちろん、60歳以上のシニア世代にも就労を継続してもらうことが不可欠である。
その前提となるのが、労働時間の再構築だ。労働時間を短くするとともに、限られた時間でも柔軟に働ける環境を整えなければ、今後は必要な人財を確保できない。労働時間の上限規制を緩和しただけでは、管理職など一部の人々にしわ寄せが集中してしまう可能性が高い。
一方でこの問題は、単に労働時間の上限を厳しくすれば解決する、というわけでもない。これまで日本では、中核業務は長時間労働を前提に正社員が担い、短時間勤務の働き手は定型的な周辺業務に従事するケースが多かった。
「しかし、短時間でも専門性を発揮できるジョブ型雇用を取り入れたり、デジタルツールの活用により業務の進捗情報などをチーム全体で共有できる仕組みを整えたりすれば、働ける時間に制約のある人も、中核業務を担うことが十分可能なはずです。社内の意識改革も含めて、働き方全体を見直していく発想が求められます」(山田氏)
人手不足への対応策として、もう1つ期待されているのがAI活用である。生成AIに加え、人間の指示なしでも複数タスクを自律的にこなすAIエージェントなどの登場により、高度な知的判断を伴う定性的な業務も代替が可能になっている。
このプロセスで発生する課題として懸念されるのが、「ミスマッチ失業」の増大だ。AIの普及によりホワイトカラーが余剰となる一方、エッセンシャルワーカーと呼ばれる現場労働者の業務は自動化が難しく、賃金水準も低いため、人手不足が今後も続く。ホワイトカラーの余剰と、エッセンシャルワーカーの不足というミスマッチにより、新たな失業が社会問題化する懸念がある。
そこで山田氏が提唱しているのが、「アドバンスト・エッセンシャルワーカー=高付加価値の現場人財」の創出だ。介護や物流などの現場に、AIやロボティクスなどを積極的に導入して、物理的な負担を軽減。AIスキルを学んだ人財が、それらのオペレーションを担いながら、現場業務をこなしていく。山田氏はその具体例として、スウェーデンの資源大手ボリデンの取り組みを挙げる。
「同社は貴金属の採掘などの鉱業を手がけていますが、採掘作業はもともと爆発物を用いるなど危険性が高く、肉体的負担も大きい仕事でした。そこで同社は、自動運転やIoTなどの先端技術を積極的に導入。掘削現場での作業の多くを自動化することに成功したのです」
この結果、現場社員の主な役割は、ディスプレイを見ながら機械の動作状況を確認し、適切に管理・制御するといったオペレーション業務に変わった。肉体的な負担や事故リスクが軽減されただけでなく、複数の掘削作業を同時に管理できるようになり、生産性も大幅に向上したという。
AIや自動化技術を使いこなしながら現場を支える働き方は、現場での知見を蓄積して高い品質を実現してきた日本企業と相性が良い。アドバンスト・エッセンシャルワーカーの育成を通じて、現場の品質力をさらに高めることは、日本の競争力向上にも貢献する。しかも、その活躍領域は建設・インフラ整備、物流、医療・介護など幅広く、地方の新たな雇用の受け皿にもなり得るだろう。
「相応の初期投資が必要ですから、大手企業が率先して現場へのテクノロジー導入を図ることが不可欠です。日本の建設業界でも、複数企業が連携してロボティクスやIoTの導入に取り組む例が増えています。メディアを巻き込んで、認知度を高めていく工夫も必要でしょう。ミスマッチ失業を回避しながら日本の強みを生かせる職種として、定着してほしいと期待しています」(山田氏)
日本では物価高が続く一方、賃金の伸びが十分追いついていない。いかに物価と賃金の好循環を生み出していくかは、引き続き重要なテーマだ。この点について山田氏は、中小企業を含めたサプライチェーンの構造的問題として捉えるべきだと指摘する。
日本経済は、資源価格の上昇、円安による輸入コスト増、新興国の賃金上昇など、あらゆるコストが高まる時代に直面している。その一方で、産業界は「コストが上がっても価格を据え置く」というデフレ時代の発想から抜け出せていない。特に中小企業は、仮に優れた技術を有していてもコスト分を価格転嫁できず、十分な収益を得られていない現状にある。このことが、日本の賃金水準の伸びが鈍い遠因となっている。賃金が伸びなければ、中小企業の人手不足もますます深刻化してしまう。
「このままでは中小企業が弱体化し、大手企業の主導の下で構築してきたサプライチェーン全体の国際競争力が低下してしまう可能性があります。サプライチェーンを維持するためにも、オールジャパンで正当な価格転嫁を醸成し、中小企業も含めて賃金水準の健全な上昇を促していくべきです。大手企業が主導し、国全体で価格と賃金の好循環を導いていく発想への転換が必要ではないでしょうか」(山田氏)
山田久氏
法政大学大学院
イノベーション・マネジメント研究科 教授
京都大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学、京都大学)。専門は人的資源管理論、労働経済。日本総合研究所調査部長、副理事長などを経て、2023年に法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授に就任。著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版)など多数。日本総合研究所客員研究員。