働き方 仕事の未来 他者との比較は無意味。「ありたい自分」を起点に人生のキャリアを考える 澤円氏

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2021.01.20
他者との比較は無意味。「ありたい自分」を起点に人生のキャリアを考える

2020年8月、23年間勤めた日本マイクロソフトを退職。澤円氏が組織を出て自由に仕事をする選択ができたのは、自分の内面と向き合って見つけた「ありたい自分」があったからだ。先行き不透明な時代だからこそ、自分は何をしたいのか、どう生きたいのかを今一度真剣に問い直す必要がある。澤氏に新しい時代のキャリアの描き方について伺った。

「好き」を見つけたら小さくスタートしよう

――先行きが見えない時代において、どのようにキャリアを考えればよいか、澤さんのお考えを教えてください。

現在、日本では多くの人がキャリアを2次元で考えています。つまり、横軸が年齢で縦軸が地位や肩書き。その考え方だと、降格や左遷、あるいはまったく違う分野に転職といった状況になると、横軸の年齢は進んでいるのに、縦軸の地位や肩書きがいったんリセットされてしまいます。みんなそれが怖くて会社にしがみついてしまうんですね。

また、自分よりも地位の高い同期がいるとか、あの人は自分より年齢が若いのにポジションが高いとか考えてしまう。なんとくだらないことでしょうか。あなたの人生、そんなぺらぺらではないでしょう、と僕は言いたいです。

だから、平面ではなく、球体でキャリアをイメージしましょう。空間の中に自分を中心としたボールがプカプカ浮いているのを想像してください。そして、そのボールの中は、自分の興味があることや好きなこと、興奮すること、リラックスすることなど、自分の内側から感じる好きなことややりたいこと、わくわくすることで満たしてください。

今の自分に付随している肩書きや会社名などすべてを取り払った後に残る本当の自分を、僕は「Being(ありたい自分)」と表現しています。これはほかと比較するものでも、誰かに与えられるものでもなく、自分の中から強く湧き出るものです。今こそこの「Being(ありたい自分)」が非常に重要だと僕は考えます。

2次元のキャリアと球体のキャリアのイメージ

2次元のキャリアと球体のキャリアのイメージ

――確かに、球体だと他者との比較はなくなりますね。

壮大なたとえになりますが、究極の球体といえる宇宙の星に上下関係なんてありませんよね。年齢や肩書き、学歴、職歴、年収などで上下関係を作っているのは、自分のマインドセットです。世の中にはただ空間が広がっているだけ。だから、好きなところで好きなように生きればいいんです。世の中は3次元なのに、日本人はなぜかキャリアになると2次元で考える人が多いんですよ。

――「Being」が見つかったら、次はどのように行動すればよいでしょうか。

好きなことが見つかったからといって、いきなりフルスイングする必要はありません。ラーメン屋になりたいからと退路を断ってラーメン屋を始める必要はなく、まずは土曜日のランチだけアルバイトをすればいい。Beingに付随する「Doing(行動)」を小さなことから少しずつ選んでいけばいいんです。

また、自分の興味や好きなことは、世の中にどんどん発信していきましょう。そうすると、遠くにいる人と触れ合うチャンスが得られます。発信するにつれてどんどん自分のボールが大きくなって、他人のボールと交わることもあるかもしれません。

僕自身も、急に今のようになったわけではなく、何者でもなかった時代のほうが圧倒的に長いです。

「私は〇〇です」と言える何かになりたかった

――澤さんの幼少期はどんな子どもだったのでしょうか。

僕は年の離れた兄が2人いて、3人兄弟の末っ子として生まれました。よく「末っ子だからかわいがられたでしょう」なんて言われますが、そんなことはない。僕の名前は「円(まどか)」なんですが、両親は女の子が欲しかったんです。だから、ずっと自分は期待外れの子だと思っていました。

父は単身赴任でずっと家にいなくて、母はPTA会長など地域の活動やお茶の先生なんかをしていて非常に忙しい。兄たちもイライラしていて、家中の機嫌が悪かったんです。

そんな環境で、自己肯定感が高まるわけはないのです。が、良かったこともあって、進路に関しては何ひとつ指図されなかったんです。これはすごくありがたかったですね。

――それでは大学生のときの就職活動では自由に進路を選べたのですね。

就職活動のときは、バブル崩壊直後でまだバブルの残り香があり、内定を取り放題でした。そんな中でなんとなく就職活動をして面接を受けて、20~30社から内定をいただきました。そして「ここでいいか」とある会社を選んで、内定式や懇親会に行ったんですが、大学4年生の12月に、「なんか違うな」とぼんやり思って、「よしっ!」と内定を蹴っちゃったんですね。

年明けからまたのんびり就職活動を始めたのですが、そのときに初めて「さぁ、自分は何になりたいんだっけ?」と考えたんです。「おそいだろ!」って話ですよね(笑)。

――何になりたいか、そのときに答えは出たのでしょうか?

自分は「何かになりたいんだ」と、つまり「どこかに入りたい」のではないことはそのとき明確にわかりました。どこかに入ることをゴールにしてしまうと、「あの会社よりこの会社のほうが大きい」とか「こっちのほうが格が上だ」など、必ず比較が発生します。そんな横並びの比較に巻き込まれるのは楽しくないなと思ったんです。

プロレスラーでもF1ドライバーでも宇宙飛行士でも何でもいいから、会社名ではなくやっていることで「私は〇〇です」と言いたい。何になれるかなと考えたときに、企業から届いていた採用募集のハガキの中にたまたま「文系SE募集」を見つけました。「(何するかわからないけど)SEいいじゃん!」と思って、とりあえず電話して面接して、採用されました。それが、生命保険会社の情報子会社です。そこでプログラマーとしてのキャリアをスタートさせました。

文系SEとしてキャリアをスタート。インターネット時代に花開く

――澤さんが提唱されている「個人力」という、ありたい自分で生きていくという考えを、新卒のときに、すでに持たれていたわけですね。

当時はまだ“種”ですね。ただ、今振り返ると、1993年にプログラマーという職業を選んだのは僕の人生における数多くの間違った選択の中にあって、非常に貴重な良い選択だったと思います。昔の自分に「よくやった!」と言いたいですね。

しかし、最初の2年間は地獄でした。自分で言うのもなんですが、超スーパーウルトラポンコツエンジニアでした。社内で飛び交う言葉の意味が何もわからなくて、アルゴリズムって何のリズムだろうって本気で思っていました(笑)。

――それが、1995年のWindows95の発売で状況が一気に変わったのですね。

95年はいわゆるインターネット元年です。Windows95が出てきて、個人が簡単にインターネットにアクセスできるようになりました。これは世界同時リセットですよね。どんなに優秀なプログラマーもエンジニアも、インターネット時代という意味では全員が初心者です。

当時はまだパソコンを買う人はそう多くなかったのですが、僕はすぐに買って家でもいじり始めました。情報子会社でありながら、エンジニアの同僚からは「家に帰ってまでコンピューターに触ることはないのでは?」と言われました。ですが、そこで大きな差がついたんです。家に帰ってまでインターネットの世界に夢中になっていた僕は、会社で唯一無二の存在になれたのでした。

しかも僕の部署は外販もやっていたので、外部のエキスポや勉強会に行ったりコミュニティに入ったりすることができたんです。この“外のものさし”を持っていることと、インターネットを知っていることが武器になり、97年にヘッドハンターから声をかけてもらって転職したのがマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)でした。

しかし、ここでまたポンコツに逆戻りです。まわりがハンパじゃなく優秀なんですよ。最初は全然役に立ちませんでした。

――会社員時代にはどんなキャリア観を持っていたのでしょうか?

何も考えてないです(笑)。目の前の仕事を必死に頑張るだけで手一杯だったんです。ただ、本当に必死に働きました。ITコンサルタントとして、目の前のお客様がハッピーになるためにどうしたらいいかを真剣に考えていました。

前職時代にマイクロソフトの競合製品を使っており、製品研究をしていたために、他社製品に詳しいことが当時の武器になりました。そこから「この件については澤に言え」という状態をつくることができて、結果的に顧客から指名で仕事が入るという非常にありがたい状態になりました。

そして37歳のときに一つの到達点があり、「チェアマンズアワード」というビル・ゲイツの名前を冠した賞を受賞します。マイクロソフト全社員約9万人の中からその年は12人だけが選ばれたのですが、これは自分にとってものすごい成功体験になりました。

一方で、成功体験を得ると、すぐに捨てたがる人間なんですよ。それで今度はマネージャーになりました。

――管理職になるとまた見える景色が変わりますね。

マネージャーとして何か明確なビジョンがあったわけではないですが、部下と競争することだけは絶対にしないと決めていました。

その後、退職するまでの9年間はずっとテクノロジーセンターのセンター長という同じポジションにいました。すべての顧客セグメント、すべての製品テクノロジーを扱っていい部署だったので、非常に自分に向いていました。自由度が高かったので飽きることもなかったですね。

「ありたい自分」で幸せな人生を送る

――2020年8月にマイクロソフトを退職されました。きっかけは何だったのでしょうか。

やはり新型コロナウイルスですね。予定されていた仕事のほとんどが凍結してしまったんです。社内外でやりたい仕事を探しましたが、どれを見てもやりたい仕事じゃなかった。それで、前年にすでに登記してあった圓窓という会社1本に絞って講演会やメディア発信などの活動を本格的に始めました。

今はもう天国です。大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の人生を生きているとはこのことかと。会社ももちろん好きでしたが、組織に所属していればそれなりの制約も出てしまうので、それが少し窮屈だったんですね。今はとにかく自由です。

――これまでのキャリアの中で、たくさんの困難もあったと思いますが、どのように乗り越えられたのでしょうか。

それは、「人を頼る」の一点です。僕はスケジュール管理が本当に苦手で、苦手なことを頑張っても誰も幸せになりませんから、その時間は自分の価値が出せることに使ったほうがいいと考えて、オンライン秘書のサービスをお願いすることにしました。

大事なのは、先に人を助けておくことです。たくさんのヘルプがあちこちから発信されているので、最初に人を助ける「ギブファースト」のマインドセットを持っていると、自分が困ったときに助けてと言いやすくなります。

――これから先、生涯を通じたキャリアを捉える「ライフキャリア」の考え方が重要になるかと思います。そんな時代に日本の組織はどう変わるべきでしょう。

僕は「コミュニティ化」という言い方をしていますが、これからの組織はいろいろな役割をみんなでシェアする時代になると思います。例えばキャンプを思い浮かべてください。野菜を切る人、水を汲んでくる人、火をおこす人、その役割もかっちり決める必要はなくて、時間帯やフェーズによって変わっていく。そうやってキャンプ全体が運営されていきます。組織も同じようになっていくと思います。緩やかに社内外の人財とつながることが、変化の速い時代においてリスクヘッジにもなりますから。

――そうなったときに、働く個人はどうキャリアをデザインしていくべきでしょうか。

個人はそれぞれのフェーズで自分に何ができるのかを説明可能な状態になる必要があります。人が面倒くさがることを一生懸命やる、ということでもいい。それをきちんと説明できて、さらに、そのことならこの人しかいないと認知される状態になれば、おそらく人生で困ることはありません。

もう新型コロナウイルス感染症拡大前の世の中に戻ることはありません。戻るのを待っていると取り残されてしまいます。ただ、今すべてにリセットがかかっていますから、例えば過去に嫌だった通勤も、今なら在宅勤務の会社を選ぶことができます。世の中に選択肢はいくらでもあるので安心してください。自分は何をしたいのかを常に考え言語化する。そして恐れずに情報発信してください。SNSなど、今はアウトプットする手段はたくさんあります。時には心ないコメントもつくかもしれませんが、それ以上にポジティブな応援もたくさん集まるはずです。会社や肩書きにとらわれず、「ありたい自分」のままで、幸せな人生を送ってほしいと思います。

Profile

澤円氏

澤円氏
株式会社圓窓代表取締役

1969年生まれ、千葉県出身。立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT子会社を経て、97年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。2006年にはビル・ゲイツの名を冠した賞を受賞。11年、マイクロソフトテクノロジーセンターのセンター長に就任。20年8月に退職。現在は、ボイスメディア「Voicy」での発信のほか、年間300回近くのプレゼンをこなす。『個人力やりたいことにわがままになるニューノーマルの働き方』(プレジデント社)』ほか、著書多数。